講師:横井 行雄 氏 (当会会員)
コロナ禍で「まん延防止等重点措置」が適用される中、今月についてもズームによる
オンライン講演会の開催となった。
1.横井行雄氏ご略歴
愛知県立時習館高校、名古屋大学理学部物理学科をご卒業後、日本無線株式会社にご入社、同社通信機器事業部長、長野日本無線株式会社取締役を経て、ご退職後、京都大学生存圏研究所研究員、拓殖大学客員講師を歴任、現在富士ウエーブ取締役(富士山登山鉄道構想計画に参画)。
1.講演内容要約
(1) 白洲正子が愛した京都(NHKハイビジョン特集から約8分間の抜粋)
正子の母は京都が大好きで幼いころから母と共によく京都に行き、方々のお寺や庭を訪れた。子供の頃は退屈だったが、やがて京都を生まれ故郷のように思うようになった。なかでも、母の影響から、京都の隠れ里である嵯峨野が大好きで清凉寺、大覚寺の大沢の池には何度も足を運んだ。
(2) 嵯峨野大覚寺の観月の夕べ(2020年10月1日 中秋の名月)
なぜ大覚寺の観月会なのか、旅の経緯につき、いきさつをお話したい。
2020年の秋はコロナ禍でなかなか旅行はできなかったが、大学時代の友人と瀬戸内海しまなみ海道あたりを旅する計画をたてた。ちょうどそのころ大覚寺で中秋の名月を見たいと思っていたところコロナ禍で事前申し込み制となったので、ダメ元で申し込んだところ当選した。そこで、車で、しまなみ海道から大山崎山荘美術館を経て夕闇のせまる中、京都嵐山の渡月橋をわたり天龍寺、清凉寺を抜け、大覚寺へと向かった。
今年は10月1日が中秋の名月にあたっており、当日は幸運にも快晴で大覚寺の大沢の池で龍頭鵜首船に乗り、雅におっとりとしたナレーションを聞きながら、暗い池の湖面から顔をのぞかせ、徐々に天上にあがっていく煌々と輝く名月を観ることができた。江戸時代に訪れた松尾芭蕉が名句「名月や池をめぐりて夜もすがら」と詠んだことを後で知った。
大沢の池を一周し下船後、五大堂に設けられたお茶席に案内されたが、お茶席からも煌々と輝く名月が観られた。
観月の後、オープンしたばかりの三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺に宿泊した。
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(2(3) コロナ禍の京都(2020年10月)
大覚寺の観月会の翌日は、コロナ禍の京都を見物した。まず向かったのは、
2020年にリニューアルオープンした京都市京セラ美術館。美術館では、開館記念展として「杉本博司 瑠璃の浄土」展が開催されていた。美術館の裏庭では、杉本氏制作のガラスの茶室 聞鳥庵(モンドリアン)が池のなかに移築されていた。その後、琵琶湖疎水記念館とインクラインを訪れた。昼食は、南禅寺傍の湯豆腐の名店「奥丹」で頂いた。
(4) 富士山登山鉄道構想について
100年前から希望があった。富士山スバルラインに沿って富士山の山梨県側の5合目に通じる道路に路面電車を通す構想の検討会が、知事が代わった2年前から開かれ、まとまった構想を基に国のPT(プロジェクトチーム)の設置準備中。ユネスコにも報告済み。10年以上かかる息の長い計画になると思われる。
(5) 町田市鶴川(旧鶴川村)の武相荘
(テレビ番組からの抜粋 約10分)
築100年の家を訪ねる旅。
その1 外観
2001年、旧白洲邸「武相荘(ぶあいそう)」がオープンした。白洲夫妻の生活ぶりと敷地内の建物をミュージアムとレストランとして公開している。敷地内には、養蚕農家等から移築した建物、白洲夫妻が新たに増築した建物が同居し、それぞれ見事に調和している。
その2 主屋
もともと養蚕農家の建物で幕末頃の建築と考えられている。寄棟造りの茅葺屋根が美しい。入口近くには当時の白洲次郎夫妻の愛用品が置かれている。かつての土間を民芸風の洋間に仕立てている。主屋の間取りは田の字型の4部屋から成るいわゆる4間取り型で、部屋は公的な表と私的な裏に分かれている。
裏のエリアのかつての茶の間には、新憲法制定や講和条約締結など白洲次郎が関わった貴重な資料が展示され、激動の戦後史を皮膚感覚で知ることができる。
コロナ禍のなか、今回の横井氏による講演は、心洗われる素晴らしいものであった。
筆者は、京都生まれの京都育ちでありながら、大覚寺の観月会に訪れたことはないが、
横井氏の講演を聞き、そのうち是非、大覚寺の観月会に参加したいと思った。
なお、余談ながら冒頭で紹介された白洲正子が愛した嵯峨野については、訪れた方も多いと思うが、「奥嵯峨巡り」をお勧めしたい。嵐山を起点に、天龍寺、野宮神社、竹林、常寂光寺、二尊院、清凉寺、祇王寺、化野念仏寺、愛宕念仏寺を散策する5キロ弱のコースで、近くには俳人の向井去来遺跡の落柿舎もある。特に秋の紅葉が素晴らしい。
(文責 星野)