講師:荒井寿光氏
(略歴)長野県立長野高校卒業、1966年東京大学法学部卒業後、通産省(現経済産業省)入省。ハーバード大学・大学院に留学、在英国大使館に勤務。その後、防衛庁装備局長、特許庁長官、通商産業審議官を歴任され退官。退官後、初代内閣官房・知的財産戦略推進事務局長にご就任。知的財産国家戦略フォーラムを立ち上げ、日本の「知財立国運動」を推進された。現在は、中曽根平和研究所副理事長、日本商工会議所の知的財産戦略委員長を務めておられる。
(著書)「知財立国100の提言」、「知財革命」、「知財立国が危ない」など。
(講演内容)
始めに、知的財産とは、「公共財である技術などを私有財産として法律・条約で保護するもの」である。
1.米中知財戦争は世界覇権の争いである
(1)米国は第一次世界大戦以降、世界の覇権を維持してきているが、現在3度目の挑戦を受けている。即ち、
①1度目はソ連の挑戦で、1957年10月4日人類初の無人人工衛星スプートニク1号を打ち上げたこと。→これを受けて,ソ連叩きに徹し、ついにはソ連崩壊まで追いやった。
②2度目は日本で、日本が戦後著しい経済成長を遂げて米国に迫ろうという勢いを止めるべく日米貿易戦争を起こした。その象徴的な事件(事例)が1987年の「東芝機械ココム違反事件」であり、まさにジャパンパッシングを徹底して行った。結果、その後日本は「失われた30年」という苦い経験をすることになる。
③3度目が現在の中国であり、記憶に新しいが、例のHUAWEI副会長逮捕事件である。このままでは通信を始めハイテク分野において中国に制覇されかねないと危惧して起こした行動である。
(2)トランプ大統領(当時)による米中知財戦争
①中国が米国に対しやってきたこと、挑発してきたことは、
・米国企業の技術や知的財産の強制移転
・技術獲得を目的とする米国企業の買収
・サイバーによる知財等の窃取 等々であり、また、一帯一路構想で陸・海両面でのシルクロードを展開・推進していることである。
②トランプ大統領は、このような中国の動きを封じる(弱める)べく、中国を切り離す「デカップリング戦略(政策)」を打ち出した。
2.中国の急速な追い上げ
(1)軍事力の強化
①空母を5隻に増やす計画を進めている。ミサイル開発も進めており、中国から米軍基地のあるグアム島に届く中距離ミサイルを大量に持つに至っている。
②軍をバックにした巨大なサイバー組織を持ち、色々なサイバー攻撃を仕掛けていると言われる。(世界のサイバー攻撃能力は、米国、中国、北朝鮮の順とみられる)
③宇宙開発分野でも、月の裏側への着陸にも成功している(世界初)
(2)経済力の強化
①2021年のGDPは、米国の23兆ドルに対し、中国は17兆ドルと追い上げている。(因みに日本は5兆ドル) 米国は、他国のGDPが米国の3分の2の規模になったら黙っていないと言われてきたが、既に中国は米国の4分の3になっている。
②中国のGDPは、2030年頃には米国を抜くと見られている。
(3)技術力の強化
①最近の研究論文数(2018年-2020年平均)を見ると、中国40万件、米国30万件と、すでに中国は米国を抜いている。(残念ながら日本は7万件に過ぎない)
②引用件数が上位10%以内が「良い論文」とされているが、その論文数では、中国5万件、米国4万件(因みに日本は4000件)となっており、中国の勢いの凄さがうかがわれる。
(4)中国は、1949年から100年かけて(「100年マラソン」と言われる)中華民族の偉大な復興を成し遂げる目標を掲げている。即ち、中国は歴史上常に世界一であり続けたが、1840年から1945年まで欧米や日本に支配された。この「100年の屈辱」を晴らすという強い意思だ。
3.中国はニセモノ大国から知財強国へ
(1)知財も共産党が国務院に代わって指導する体制へ
2020年11月30日に習総書記が行った講話の中で「知財に特化した保護計画の策定」、「国家安全保障に係わるコア技術の自己開発と保護」について強調している。(習総書記自身かなり勉強したと言われている)これまで欧米や日本に頼っていた中核技術を自主開発するという強い方針だ。
(2) 知財強国建設綱要2035(2021年~2035年)を打ち出し「党による知財強国建設業務の指導を全面的に強化する」という方針→具体的には、
① 知財は国家発展の戦略的資源であり、国際競争力の中核的要素である
② 知財は国家の安全保障と密接な関係にある(リンクしている)
③ 国際的な知財ガバナンスに参加する(品良く言っているが本音は世界を支配したいという意図とみられている)
④ 知財のDXを推進する(ビッグデータやAIの活用)
⑤ 知財強省・知財強市を作る
⑥ 知財の考査・評価を強化する。党・政府指導幹部と国有企業の指導者・グループにおいて知財業務の業績を評価する。(要は知財をしっかり行えば出世すると受け止められている)
(3) ニセモノ退治にも全力を挙げているのは事実だ。世界一のニセモノ大国からの脱却を図っている。
(4) 特許件数では、今や世界一
① WTOに加盟した2001年頃から特許に力を入れてきた。2021年の特許件数は中国:160万件、米国:60万件、日本:30万件となっている。
② AIや再生医療分野において、特許の伸びが目立ち日米を逆転しているなど、量のみならず質の点でもトップクラスになっている。
(3) 知財司法においては、米国を抜いたともみられる。
① 中国の司法は「人権・政治分野」と「経済分野」を分けて見た方が良い。
② 日本の最高裁に相当する「最高人民法院」に知財専門の「知識財産法廷」を設けて、理科系や留学組のエリート裁判官を採用・配置している。さらに北京・上海・広州・海南島においては、知財専門の「知識財産権法院」(日本の高等裁判所レベル)を設けている。
③ 2017年の統計での特許侵害訴訟件数を見ると、日本:200件、米国:4,000件に対し、中国では16,000件と極めて多い。これはコストパフォーマンスからみて、中国の企業や国民が知的裁判をする価値があると判断していることの表れで、知財裁判が有効に機能しているを示している。
④ 中国の知財裁判のDXは世界一のレベルとなっている。即ち、「インターネット裁判所」を開始し、また「インターネット放送による裁判の公開」を行ったり、更に、AIを活用しての「スマート裁判所」を推進している。(因みに、日本はと言うと、2025年頃からインターネットの利用を開始しようとしている状況で、はるかに遅れている)
⑤ 大学・研究機関において、知財重視の取り組みをして、「知財の教育」「知財の創出」「知財の実用化」に注力しており、大学発のベンチャーも多い。
⑥ 「大衆創業(ベンチャー)」、「万衆創新(イノベーション)」というキャッチコピーを掲げ、ベンチャー企業の振興に国を挙げて強化している。その一例で、北京ではベンチャーを推進する「創業一条街」を造っている。また、中国のシリコンバレーと言われている深圳で最も成功したのがHUAWEIである。
⑦ 知財覇権を狙って「中国標準2035」という指針を打ち出して、中国標準を世界標準にしようと画策している。他方、国際仲裁組織を中国に持ってくるとか、一帯一路構想で発展途上国の指示を得て、実質的に「世界の知財裁判所」になろうと計っている。
4. 技術・知財が経済安全保障のコアになる!(提言)
日本として、「技術・知財が戦略物資であり国家存亡のカギである」ということを強く認識して対策を打つべきである。
世界が置かれている環境を見ると、
①2017年にトランプが仕掛けた米中新冷戦時代(米中の間にカーテンを引く)にあること
②コロナ禍で表面に出た「中国に製造を頼り(任せ)過ぎたサプライチェーン」となっていたこと
③まさかと思っていた「ロシアによるウクライナ侵攻」が勃発しエネルギー問題・食糧問題等が深刻になっていること
→まさに、「新東西ブロック」が出来上がりつつあり、「経済安全保障」対策が喫緊の課題であり、早急にあらゆる手を打つべき時である。
振り返るに、日本の戦後経済政策は、今、第3期にあると言える。即ち、第1期はサンフランシスコ条約後、1950年代からの「官民協調」の時代。第2期は1990年頃からで、政治の冷戦が終わり、新自由主義・グローバリズムの時代。そして第3期は2020年以降で「経済安全保障なくして民間企業の活動が出来ない」という時代に変わってきた。
かかる認識の下、以下7つの視点での提言を行いたい。
(1)知財政策も第3期に突入していると理解すべきである
①第1期は、技術を導入し(特許)大量出願の時代だった
②第2期は、海外投資を大きく展開する国際化の時代であった
③そして第3期は、新冷戦時代下の中で「したたかな国際展開」が必要であり、戦略的出願を行い、権利を積極的に行使すべき時である
(2)技術力の戦略的強化が不可欠
①2022年5月に成立した「国際卓越研究大学法」を積極的に推進すべきである。その典型的な動きが、東京工業大と東京医科歯科大学の合併である
②同じく、2022年5月に成立した「経済安全保障推進法」を活用し、産・官・学共同で重要技術の育成に注力していくべきである。因みに、米国では国防省が民間に大量の資金を提供・支援しており、一方、中国では「軍民融合」路線を推進している
(3)企業の知財力を強化すべきである
①「知財=技術力✕法務力✕戦略」という図式をしっかり認識すること
②知財部門のアンテナ機能を強化して、世界の動きを事前に把握する体制を作り、各企業の戦略に活用すること
(4)大学における知財戦略を強化すべきである
米中の大学では「右手に論文、左手に特許」という知財戦略を行っているが、日本ではこのような動き(活動)は弱い。日本も早急にこの体制作りを急ぐべきである。
(5)サイバー防衛戦略を強化すべきである
産業スパイの時代は過去のものである。今やサイバーにより技術を盗んでいる。個別企業独自でサイバー防衛をするのは無理だ。
米・中他海外の主要国は、政府内や軍部に強力なサイバー部隊を配置し、数千人~数万人の組織で活動している。
一方で、日本では、内閣・警察・自衛隊にサイバー部隊の組織を作っているが、その陣容は数百人規模で不十分な体制である。加えて憲法或いは通信機密取り扱いの法律等に抵触しかねないという危惧もあり、サイバー防衛は不十分だ。(日本はサイバーに関してもスパイ天国になっているのが現状)
(6)国際標準化戦略を推進すべきである
既に2010年1月16日の日経新聞は、「三流企業がモノを作り、二流企業が技術を開発し、一流企業がルールを決める」という記事を掲載していたが日本の国際標準活動は弱い。脱炭素社会も標準争いの時代であるので、日本企業の強みはモノ作りにあるとこだわっていると国際競争に負ける。
(7)知財分野での司法改革が不可欠である
日本で国際競争やデジタル化に一番遅れているのが裁判所だと言われている。
今やどこの国の「法の支配」にするかという国際競争が行われている。従来、米国の裁判所や弁護士の影響力が大きく、「米国法」が実質的に国際ビジネスを支配してきている。これに対抗して、中国は最高人民法院に知識財産法廷を設けて、判決のレベルを上げており、また、実際の判例を英訳して世界に発信し(legal export)、「法の支配」に関しても米国の真似をして、米国に追いつき、追い抜こうと注力している。日本も司法改革を進め、日本法が世界で影響力を持つようにすべきだ。
5.最後に
このままでは、「日本の競争力が失われる、知財立国の日本が危ない」ということを強く訴えたい。
→まさに「知財戦略なくして企業も国家も発展なし」である。
以上
(文責 川畑 茂樹)